時間という物

時間は誰も所持して金持ちも貧乏人でも等しく所有するって言われているが私はそうだと思っていない。

別に貧乏人は時間に追われて働いて金持ちは優雅にバカンスをしているからでも無い。

時間は確かに量的には等しいが質的には等しくない。

時給換算してもそうだし、例えば上司と出張を同行しても上司の時間の都合に合わさなくてはいけない。

人に時間を合わせると言う事は、時間を共有していても、その瞬間の時間の所有者は相手にあるって言う事である。

じゃ、人に合わせず自分の好き勝手にすれば良いじゃんって思う人もいるかも知れないが、それでは孤立する。

要は他人の時間を所有しても文句を言われず、人が離れない立場になれば良いと言う事だ。

その為には時間の価値を高める事だ。例えば、自分の給料を時給換算すれば2000円だとする。上司の時給が10000円としたら上司の時間を割いてまで自分の為には使えないが、その時間が8000円以上の価値があれば話は別になる。

しかし時間の価値を高めるには時給を上げれば良いだけの話でもない。

その時間で求める物を与えれるかでも違ってくる。

例えば、マイクロソフトで有名なビルゲイツとの食事が10万円とする。

10万円の出費は普通の家庭でも出そうと思えば出せるが、今の私からはビルゲイツから吸収できる物や能力がないので10万円の価値はない。

でも、人によれば100万円出してでも行きたい人もいるし、それで、101万円分の吸収をする人もいるだろう。

現在、自分が生活している世界で自分の時間の価値を高めれば、時間の所有者になる事も可能で時間の所有者になれば自分の時間を使わず人の時間を使う事が出来る。時間という無形の物を限りなく有形の物に変える事ができる。

まず、時間の価値をしり価値を高め所有者になる事を目指そう。